ぼやぼやするブログ

燻りを炎に戻すために

自殺未遂後の記憶は私から様々な機会を奪っている。

自殺未遂後の記憶は私から様々な機会を奪っている。

自分が自分の性格から意見を述べるのをはばかると教師はすぐさま聴取を終え私に「ケア」はもう必要ないと判断したと推測される経験。

根底の尊厳や意志が根元から否定され踏みにじられた感覚を忘れずに生きている。

(この記述は自死に対する同情を乞うものではない。)

もちろん意志表明を怠った自分にも落ち度がみられるだろう。しかし、自尊心を失った私に正しい選択ができたとも思えない。

過大にこの経験を行動の判断材料としていることは否めないがそう認知してもなおこの記憶は私の中で大きい領域を支配してきた。「私は自身の性格から自分の行動から人生そのものまでを変えられないのだ」という刷り込みが働き続けている。

私は未来が見えず崩壊し砕けた自我に任せず他人の言われるがまま人生を選択してきていることを認識している。

今は誰の言葉も自分を救わないことを知っている。

深夜の記憶

2ツイート強ぶんの短い覚え書き?をサクサクと3記事あげた。まとまった文章を書くのに自信が無くなってこれぐらいしかできない。私が何をめがけて生きているのかわからない。


いや、もっと生きたい。今ベッドに寝転びながら高校の頃自殺未遂を図る前日の夜のことを思い出している。あの時はベッドに潜りながら2ちゃんねるの人生相談板でアドレスを見つけて連絡を取っていた大学生とライン通話をしていた。世間話が下手で私はたびたび無言になった。その人には大丈夫かと何度か言われ心配そうな様子に聞こえた。それ以来その人とは連絡を一度も取っていない。
その後は、私が死んだと考えていただろうか。それとも、いつもどおりの学校に行く日常を想像しただろうか。
志賀直哉『城の崎にて』に出てくる一節には、生きていることと死んでいることはそれほどに差がないとあった。私はたぶんそれを感じて生きていた。私が目覚めたときは小雨が降っていて、未遂に終わった悔しさも命がある安堵的な喜びも生きていることに気づいた瞬間は凪いでいた。
生きることに心から感謝できた(のかな?)瞬間はそれから何年かしないと現れてこない。
その間に失った可能性とかエネルギーとか自信とかは何年かけて取り戻せるのだろう、と考えるのも不毛で、私がずっとなおざりにしていた問題だから、まずは責任をもって解決するしかないだろう。

死人に口はなしというなら口を閉ざせばそれだけ死人に近い。

価値の合わない人間に語ることがどれだけ難しいかなど実際の状況に出くわしてみないとわからない、そして語ることをやめた。価値の合わない者だらけになっていた。

私の過去10年願った通り死に向かっている。

その間自分の心を開くことなんて自分の願いが許さなかった。

また元に戻りそうだ。言葉が出ない。自分の言葉で、話せない。話したくないのかもしれない。

人に助けを求める勇気がない。心が死んでいる。

そうやって自閉的な言葉ばかりが巡る。助けて。助けて。と頭の中で思っていても実際に悩みを聞いてくれる人が現れても何も言えない。

窒息みたいに瞬間瞬間の私が死んでいく。

自分なりに外部に開かれた態度で接していると思っていたのだけれど、

実は自分の内にこもりながらもそのくせ外部に答えを求めようとしていた。

避けては通れない道だったのかもしれない。でも、今の私には許していられない。

 

今、自分の時間の使い方がとても恐ろしく感じている。

ひどく退屈。怠惰。言葉の羅列をただただ眺めているに過ぎない。

勉強だって、それが自分の血肉になっているという感覚もなく、それでその行為に意味を与えられないでいる。

今を充実させるためのもの?将来を達成するためのもの?

自分から動かなければ言葉に意味など与えられないだろうに。

 

急げ。私の頭の中が瓦礫と空洞で構成された何かに成り下がらないように。

これからのあらゆる言語活動が無駄な時間にならないように。

大学に来てから感じたすべての喜び、悲しさ、腹立たしさ、虚しさ、それらと同じように、行動の結果が分かるのはいずれ行く場所においてである。そして、それが良かったのか、悪かったのかを決めるのは私の思いである。

私自身がこれ以上苦しまないように、これ以上に幸福だと思う瞬間が増えますよう。

7月8日 つたない過去の振り返りしか

自分の世界からは物語が抜け落ちているな、

iPhoneに入っていた大学時代の写真をかき集めて見返して、そんな感覚に陥った。

たくさんの方向に興味が拡散し、自分で自分を振り回していた。まるで誰かに目を覆い隠されたまま車のアクセルを踏み続けて着いたのがここだったみたいで恐ろしかった。それで、入学してからもそのまま日々を過ごしていた。

自分がおかしいのを隠したり少し人を信頼して言ってみようとしながら、幸せな瞬間もあったり理不尽さを感じたりしながら。

みんなからは普通に見えていただろうか。「少し変わっている」くらいで済んだだろうか。

きっとそのふるまいは大学生に見合わなかっただろうし、

きっと誰も感じ得ない無秩序な日々が愛おしく思う。

3月18日 未来が欲しいというはなし

やはり実存は本質に先立ってしまうのかと思った。

一年半前まで無理をして築いてきた人から自分への信頼という資産を切り崩して、毎日甘えに甘えて生きてきた。だらだらと毎日を消費するだけ。淡い楽しみだけ

が自分の努力なしに知人やイベントからもたらされ、ただ素直にそれを受けとる。

 

それでも降りなければいつか社会に出て折れると考えていた。大学を出たとしても永遠に続く適合への努力から、大学を出たとしてどこで役立つかわからない知識から、一旦距離を置いた。それまでの人生のプロセスでしっかり自分自身がここにいる意味を見出すことができていなかった。それゆえ他人からの理解も、ここにいる意味を理解していない自分がいくら考えを話したって得られる理解は不十分なのだ。

瞬間瞬間に自分が持った言葉にはしづらい微細な感覚を語ろうとすることで、生きづらさは増す。あまりに長期的な視線で自分の感覚を見据え、総括することは非常に困難である。学校に居る意味も、未来への夢・目標も、その日暮らしでなんとか死なずに生きてきた私にとってはどうしてそのようなことが記述できるのかよくわからなかった。

自分には未来を見通す力が欠けている、と考えている。その力は日頃の訓練で身につくものなのだろう。しかし一度自分でそれを断ち切ってしまった。(断ち切ったとはいってもだいぶぼやけていたが)今は差し詰め推進力が分散してしまっている状態なのだろう。

 

今の腰が重く怠惰な状態はとても褒められたものではなく、前の自分が無理をしているとはいえども意外と頑張っていたというのを思い出して、少しかなしくなった。

かつて信頼を築いた先にいた人たちの顔だって、けして忘れたわけではない。

もう一度、でも少し生まれ直して、良い未来の方向に自分を進めたい。

対策を、考えないといけない。

3月5日

息をするように駅に待ち構える就活塾のティッシュ配りを否定し続けている。

なにが人間理解だろう。嫌なものを見るのをただ避けているだけだ。

そうやって、人間関係に少しの染みを見出すとすぐ避けて遠巻きに眺めるよう徹していたのだ。

優しいのではなく、自分が人と接しなくてよいという状況に甘えているだけだ。人とまともに接しないことで心に余裕のある私が優しい態度をとることができるのは当たり前のことだ。

しかし仕事を始めたらそれは違うのだ。なにか困難が起これば同僚とコミュニケーションをとり向き合って行かなければいけないのだ。そこでは、チームで問題解決をするうえで、傍観者として居ることはできなくなる。

就職活動は主体性を重視する。自らが会社に己を人材として売り込む必要がある。

私は、自分の人生すら傍観者として眺めていた。人から優しいと呼ばれて、それを隠れ蓑にしながら生きていたんだ。自分と、人と、向き合う。たった今、それに直面している。