ぼやぼやするブログ

燻りを炎に戻すために

無題

自己の精神を自己犠牲でズタズタに引き千切るのはばかげている。

スポーツの時運動神経を馬鹿にしてきた陰湿な女クラスメイト達に美術部の自分は美術の時間に「ドグサレ野郎共、なんで私より上手く書けないの?こんくらい描けて当然じゃね?幼稚な絵!」くらいの言葉を心の中で吐くくらいの気持ちで生きていればここまで自尊心が傷つかなくて済んだ。

「彼女らにはこんな性格になってしまった背景があるんだ」という「思いやりの心」なんて忘れれば、自分を守れたのだ。

ありふれている道徳は弱者をさらに貶め弱め反抗心を削ぐ。

(ここまで書いてみてネットで中二病と呼ばれる性質にそっくりな気もしてくるが、このネットの言葉はしばしば心の動きをはじめあらゆる事物を矮小化する性能に長けるように作られているものだ)

自分が妥協し相手に譲れば丸く収まるという自己犠牲的な考えがいつから芽生えたのかどうかを考えていて、つい思考が横道にそれてしまった。

自分に胆力が足りなければいくら人を思いやるところで何度も無力感を植え付けられる結果になるらしい。

自分を大切にできるかどうかさえ、思考の習慣ですこしづつどうにでもなってしまう。