ぼやぼやするブログ

燻りを炎に戻すために

自殺未遂後の記憶は私から様々な機会を奪っている。

自殺未遂後の記憶は私から様々な機会を奪っている。

自分が自分の性格から意見を述べるのをはばかると教師はすぐさま聴取を終え私に「ケア」はもう必要ないと判断したと推測される経験。

根底の尊厳や意志が根元から否定され踏みにじられた感覚を忘れずに生きている。

(この記述は自死に対する同情を乞うものではない。)

もちろん意志表明を怠った自分にも落ち度がみられるだろう。しかし、自尊心を失った私に正しい選択ができたとも思えない。

過大にこの経験を行動の判断材料としていることは否めないがそう認知してもなおこの記憶は私の中で大きい領域を支配してきた。「私は自身の性格から自分の行動から人生そのものまでを変えられないのだ」という刷り込みが働き続けている。

私は未来が見えず崩壊し砕けた自我に任せず他人の言われるがまま人生を選択してきていることを認識している。

今は誰の言葉も自分を救わないことを知っている。