インターネット依存、時間の空費
私は、小学校の2年生にパソコンを使い始めた。父親から使い方を教えられて、最初はただソリティアとスパイダーソリティア、ピンボールなどオフラインで使っていた。
インターネットの使い方は教えられていなかったが、父親の見よう見まねで隠れて検索をしたのが始まり。
3年生あたりでクラスメイトと喋れなくなったことと、親子関係に対する不信感が募っていたのでネットは格好の逃避先となった。
そこからは、情報の海に身を任せていった。すっかりネット中毒になってしまった。当時は親も止めなかったので、ひどいときは深夜の4時ごろまで2ちゃんねるを眺めていたときもある。気が付いたら専用ブラウザまでダウンロードしていた。学校や家という場所などどうでもよかったのだと思う。学校に行くという作業、家に帰るという作業でしかなく、そこに愛着など微細もない。心理学的な防衛機制だったのだろうか。逃避だったのだろうか。あの頃の自分にはそんなことはどうでもよく、インターネットがすべてだった。
空虚に時間を消費する日々。
自分は頭の中で言葉がうまく組み立てられないことでずっと悩んでいたのだけれど、このネット漬けの生活に原因があったのだろうと思う。
思考の断片が目に次々と入り込むのが、インターネットの掲示板である。そこにあるのは一連の文章ではなく、ほとんどがそれぞれ見知らぬ誰かの放った一文。全体としては何の論理性も持たない。
ネットをしていると専門的な知識や語彙などの知識の散らばりを集めていくことになる。wikipediaやネットスラング、雑学系の知識は手に入る。情報をジャンクフードのように食い漁る。
情報を集めているとそれだけで頭が良いと思いこんでしまう。もともと人とうまくコミュニケーションが取れなかったのだが。自分の考えなど人には理解できまいと、傲慢な理由付けをしていたところも恥ずかしながらある。
しかし実はそれらの情報が頭の中で散らかり思考を阻害していたのだ。いくら知識をインプットしてもアウトプットの場が足りないとかえって思考が整理できなくなるのだ。そしてさらに言葉に詰まり、押し黙る。意見がまとまるころにはもう会話の場ではなくなっている。
自分の意志がないようによく感じてきたが、おおむねこれが原因だろう。思考はことばで行われるものなのだから。
外に開かれるために、私は私を組み立て直さないといけない。空虚な時間から人との繋がりを作る時間へと抜け出そうと今もがいている。